Vista祭りか狂信か?

私のPCでは午前3時までは今夜、つまり、Vista発売日の前日、1月29日である。
ただいま午前0時30分を回っている。全国の有名パソコンショップでは予想通りのお祭りが始まっていることだろう。

Vistaでどう世の中が変わるものかと思いつつも、誘導されてしまうようだ。お祭りだから。狂信でもある。

かつて、私も狂信的WINDOWS信者であった。プレ3.1のCD-ROMをPC雑誌で知ってからは正式版が待ちどうしかった。
富士通のTOWNSⅡには見向きもしなくなった。NECの9801のWINDOWSを熱狂して追いかけPCを買い換えていった。デスクトップ3台、ノート2台が今も書斎の片隅に積んである。
そのNECの日本版もなくなり、WINDOWS95の時代が終わる。そしてWINDOWS98の時代へ移行した。
TOWNSⅡの後継機を出していた富士通も日本版FMV機も姿を消していった。いよいよPCの選択肢は無くなっていた。OSもWINDOWS全盛になっていたから迷うことなく新OSに従っていった。お祭り騒ぎに参加するというより飲み込まれていった。疑うことをせずに・・・、狂信的に・・・。
WINDOWS−2000のときはドライバ探しで苦労させられた。WINDOWS−Meにもだまされた。PCを買い替えもした。
でもいろいろ苦労して勉強したから、自作機を組み立てるまでになっていた。
PCおたくである。完全なるWINDOWS狂信者になっていた。
MACには目も向けられなかった。OSもWINDOWSのみだった。OS2やLINUXも知ろうとしなかった。
WINDOWSの98、98Se、2000、Meの発売日には店頭に走っていった。XPの時には多少余裕を見てから購入したが。

そして今度のWINDOWS-Vistaである。WINDOWSおたくを卒業しようと思い立ったのはWINDOWS離れが理由ではない。自作機メカマニア撤退宣言をしたからである。
ラジオ、ステレオ組み立てマニアの流れはPC組み立てにまで続いてきたが、もうやめることにした。
Vistaの高機能を発揮するPCを組み立てる費用も自信もなくなってしまったからだといえるが、PCはあくまでも「文房具」にすぎないのである。
鉛筆をいつまでも削っていては字は書けない。Π(パイ)を押し続けていても計算はできない。本来の仕事へ向けなければならないと思う。
百科事典も開かなくては価値が無い。インターネットも渡らなくては知識を手に入れることはできない。道具は使わなくてはならない。道具を手の上でいつまでも遊んでいてはいけない。
残された余暇をもっと充実したことに使いたい。
PCメカマニアを卒業することに決めた今、WINDOWS祭りも気にならなくなった。
人のお祭り騒ぎや狂信を笑うことはしないが・・・。