連休の事故や楽しみ

わが古屋の書斎に続く書庫の床が抜けてしまった。
築80年の農家つくりの古屋であれば大きな地震にも遭っていたるところに歪が来ている。
縁の下の土台は昔の工法の捨石が並ぶ。その石からずれている土台だから畳の床も板の間も水平は保たず、ぶかぶかと揺れもする。
この書庫としている8畳の「きただ」の間を整理しようと久しぶりに作業衣に着替えて頑張って整理を始めて直ぐ、事故は起きた。
ヴィデオテープラックを移動するためにダンボール箱を持って、ラックの前にたって、テープを箱に詰め込み始めたところメリメリという音とともに大きく傾いてしまった。床板が落ちてしまった。ラックは壁際へよりかかったから良かった。前に倒れていたら相当の量のヴィデオテープの重みが私の胸や腰や足元に降りかかってきただろう。

古屋の床が抜けるのは仕方ない。
この重いヴィデオテープはどうしたものか?
ほとんど、テレビ放映時に同時に録画した映画や音楽テープである。
新し好きのマニアの趣味はAVだった。そちらのエロAVではない。オーデオ・ヴィデオのAV、つまり、ステレオアンプやヴィデオ装置マニアであった。自作のアンプを組み立て、いかに良い音や映像を記録するかを日夜研究していたのだ。その成果がテープとしてたまっている。
カセットテープやヴィデオテープレコーダーの新方式新製品への憧れは尋常ではない。今のパソコンに対するものよりも大きかった。大須や栄の電気街を歩き回っては新製品のカタログを集めることから始まった。CDはまだなかったころからだ。テープだってオープンリール方式のころだった。

それがカセット方式のテープに変わり、小型で持ち運びが便利になった。音も映像も携帯できるようになった。画期的な時代になってきた。
それが今日まで続くAV革命の縁の下の力となったと自負するオーデオマニアの端くれであった。

その証拠の数々が箪笥の上やオーデオラック、ヴィデオラックに並んでいる。

今や、時代はもっと進歩して、より小型、より軽量の機器に変貌した。改良というより得体の知れないエイリアン機器の出現である。レコード盤はカセット、MD、CDそしてSDやスティックメモリーに記録されることになった。ビデオテープも同じコースをたどり、AVは今やデジタル方式の全盛期を迎えた。遠くマニアの手には届かないところに行ってしまった。
今やマニアの証はこの書庫の隅に終い置かれたアンプセット、大型スピーカやテープラックのテープにある。テープや機器のずしりと重い手触りに残る。

この感触は捨てがたい。方式が変わり小型で軽い携帯機器になった今だからこそ、時々手にとって旧式の音や映像を味わいたいのである。
そのテープの整理がしたいのである。
収録記録カードは未整理でも、頭のどこかに残る懐かしい記憶をたどりながら
・・・。今はただそれだけでいい。

床の修理をしてAVルームへと模様替えするにはしばらく時間を要するが、たとい少しは雑音が混じり、映像が歪んでいても懐かしい「青春」に出会える喜びが待っている。