暮れの地震発生

今年も後一日という夜。年の締めをしようと夜更かししていたところ、TV画面に「地震情報」が流れているのを目にしました。深夜2時半過ぎ、伊豆列島で震度3と有りました。さらに震度4の地震が続いています。これは群発地震になるでしょうか?気になって仕方がなく、資料整理の手も休みがちになってしまいます。

ここ愛知県三河地方では62年前に大きな地震に遭遇しました。
東南海地震M7.9(1944年(昭和19年)12月7日13時36分ごろ)と、続く三河地震M6.8 (1945年(昭和20年)1月13日3時38分ごろ)の2つの大地震でありました。両方の地震の死者は3500人以上。、住家屋全壊2万戸以上という大災害で有ったといわれています。私の記憶は、寒い夜に表に放り出されて震えていたことを覚えているだけでが、大変な被害状況を知ったのはつい最近の研究発表を読んでからでした。戦争中のことでもあり、当局は二つの地震をもみ消そうとしたようです。詳しい被害状況も知らされることなく、60年が過ぎ去っていました。

最近は、予想される東海沖大地震の備えとして防災訓練が各地で行われていますが、当時の体験者も亡くなったり高齢となり、悲惨な被災状況を伝える機会も少なくなっており、若い者のほとんどが「戦争」も「大地震」の悲惨さをも知らない状態です。

私は地震が怖いのです。理屈抜きです(中耳の病、平衡感覚異常のためか微細の振動に敏感かも知れないが)。この中旬にも3日続きの小地震に遭い、地震情報を聞くたびにうかうか寝ておれないのです。
今夜発生した伊豆地方の地震が気になります。もしや東海沖大地震の前触れでは?と身構えてしまいます。

これから新年を迎えるとき、「大脱走」の準備を怠りなくすることにします。地震には一刻も早く「逃げること」以外に身を守るすべはないと思うからです。
「ガスの元栓を締めよ」
「ストーブを消せ」
という余裕が本当にあるでしょうか?
たとえば、「シートベルトは安全だ」も時には事故車からの脱出に遅れてしまい焼死するかもしれない。出火による二次災害を防ぐために、家の中に舞い戻り火元を点検するうちに下敷きになるかもしれません。そんな余裕はおそらくないでしょう。マニュアルから外れても「逃げるが勝ち」だと思います。枕元のボストンバッグに貴重品、防災具、下着、防寒着、カップ麺を詰めておきます。そして一箇所は秘密の鍵を外して脱出口を開けておきます。

あと一日無事に済めば平成十九年の幕開けですが、災害に暮れも正月もありません。来る年が平安の続く年になりますようお祈りいたします。